●30万株のカタクリの花
秩父鉄道の武州日野駅からえら山口駅まで、奥武蔵の里山を歩きつないだ。武州日野駅の直ぐ南側に、標高386mの弟富士山がある。山と言うより丘といった方が良い弟富士山が、一年で最も賑わうのは4月の初旬の頃、30万株のカタクリの花が斜面一面に咲揃う時期だ。2001年の春、3月25日に訪れた時はまた蕾が開いていなかったが、4月7日に再訪した時には、山の斜面がカタクリの花で埋まっていた。
弟富士山を降り、しばらく里道を歩く。3月に訪ねたときには早かったが、4月に訪ねた時には桜、白木蓮、れんぎょう等、色とりどりの花が楽しい里道であった。越の部落から山道に入る。漆平の民家の脇を抜けて進んでいくと、道が二分している。直進すると「大反山」へ真っ直ぐ向かうが、左折して一旦「若御子峠」に登り、ここから「大反山」に向かう事にした。
●若御子山と大反山
若御子峠から尾根伝いに、「若御子山」を経由して大反山を目指したが、余り良く歩かれていない道らしく、若御子峠から上は踏み跡が不明瞭になる。木に巻かれたビニールテープを辿って、急な斜面を登りきり、杉林になる手前のピークで荷物を降ろして、「そろそろ若御子山に着かないかな。」と地図と睨めっこ。気を取り直して杉林の中を上がる稜線を再び歩き始めて約1時間。道のアップダウンの様子からして、「若御子山は通り過ぎてしまったかな。」と思っていると、右手から登山道が合流して来た。距離感からして、漆平から大反山への直登ルートの様だ。合流地点から先は、道が平坦になって来る。何処がピークか判らないような道を歩いて行くと、足元に三角点の礎石らしいものに目が留まった。よく見ると、近くの杉の根元に、小さく「大反山」との標識もあった。これでは見逃してしまう。山頂標識は、もう少し目立つものにして欲しいものだ。
大反山の頂上を確認出来た事で、地図上での位置も確定出来た。「暗い杉林の中での昼食はつまらないし..。」と、上って来た道を引返す。途中、登りの際に「若御子山はまだか。」と地図とを見た地点で辺りを良く見ると、斜めに倒れかけた木の幹に「若御子山頂」と書かれたテープが巻き付けられていた。それにしても判りにくい登山道だ。
国見広場で、のんびりと昼食を取った後、清雲寺へ下山。ここから里道を辿って浦山口まで歩いた。清雲寺は、枝垂桜の古木で有名な寺で、4月7日に再訪した時には桜が見頃であった。
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弟富士山のカタクリ(4/7)
若御子山の稜線
大反山への直進ルートを別ける
潅木に掴まって急坂を登る
暗い杉林を大反山に進む |
国見の広場
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判り難い大反山頂上の標識
左手前の四角い石が三角点 |
若御子山頂の標識
行きには標識を見逃した |
清雲寺の枝垂桜(4/7)
4月7日のカタクリ会山行
(弟富士山カタクリの花畑にて) |
●若御子山と大反山再考
若御子山から大反山を経て矢岳へ至るルートは、秩父さくら湖の建設と若御子集落の廃村に起因してか、道が何度か付け変わっている様だ。古い地図を見ると、若御子峠から一旦さくら湖側に下り、ここから小洞に登り、854mピークに道が付いている。若御子集落が廃村になった今、854mピークへの道は、漆平側からに付け変わった。ただ尾根筋を辿っても歩ける為、ここにも踏跡があり所々にテープが巻かれており、自分が歩いたのも、この尾根ルートであった。
問題なのは「若御子山」と「大反山」の位置であるが、国土地理院の地形図には山名表記が無い。昭文社の「奥武蔵・秩父」の地図では、854mピークに大反山の表示があり、実際に置かれた標識と一致とている。ところが山渓の「埼玉県の山」では、854mピークを若御子山となっていた。同じ山渓でも「四季の花を楽しむ100山」には、357mピークを若御子山、854mピークを大反山としている。857mピークは、実際に若御子山の表記が在った地点で、どうやらこれが正しそうだ。「埼玉県の山」の「Q若御子山」は、山の位置認識が違っているのではないかと思うのだが、どんなものであろうか。 |
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