奥武蔵と西上州の境に位置する、城峰山に登る事にしました。この山は、95年の5月に一度登った山ですが、その時は頂上直下迄車で上がり、往復15分のお手軽登山でした。今回は、麓の西門平からの正規ルートを辿っての登山です。
秩父鉄道ノ皆野駅から、町営のバスに乗り西門平まで入ります。乗客は、私を含めて2名のみ。もう一人も登山者で、聞くと同じく城峰山に登る予定だとの事でした。西門平バス停から、沢沿いの舗装道路を少し登ったところから登山道が始まるのですが、その50m位手前の道路脇に、赤いリボンが結ばれていて、森の中に続く踏み跡もありました。「ここが登山道入口?」と、数m踏み跡に沿って進むと、踏み跡が雪の中にスッと消えています。振り向いて、舗装道路の先の方を見ると、そこにも何か赤い印しが有ります。そして小さいながらも道標も。ここが正規の登山口でした。それにしても、紛らわしい赤マーク。前に来た人もリボンに惑わされ、次第に踏み跡が太くなったのでしょう。
登山道は急すぎず緩すぎず、快適な勾配で高度を上げて行きます。登りはじめて約45分で「鐘掛城山」への路との分岐に到着、帰路に登る事にして、巻道を進みました。やがて城峰山へ続く稜線に出ると、御荷鉾山や赤久縄山等、以前登ったことがある西上州の山並みが、一気に目に飛び込んできました。無雪期は車が通る石間峠から登り返すと、程なく城峰山の山頂に到着して!..。さして広くない山頂は、電波中継搭に占拠されていました。
95年に登った時、小さな展望台はありましたが、こんな巨大な構築物はありませんて゜した。生活インフラにこれらの設備が必要なのは分りますが、何も山頂に建てなくても良いのに...。これでは城峰山が可愛そうです。 |
稜線部から望む城峰山
西上州の山並み
山頂を占拠する電波中継搭
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山頂で昼食をとった後、来た道を引き返して「鐘掛城山」に登ります。途中で、朝バスで一緒だった年配の登山者とすれ違いました。この日であった登山者はこの方だけで、幾ら雪が付いているとはいえ、連休初日、しかも絶好の山日和です。奥多摩や丹沢は、大勢の登山者がいるに違い有りません。朝の秩父鉄道にも、ザックを持った人が結構乗っていました。確かに秩父を中心とする奥武蔵でも、荒川の北側にある「北秩父」の山域は、余りガイドに載っていません。静かな冬枯れの山景色を楽しむのには、うってつけの山域の様です。
西門平からの登路から「鐘掛城山」方面には、雪が被ってから人が入った気配がありませんでした。ラッセルの始まりです。雪はサラサラしており、深い処でも腰程度の雪でしたが、誰も歩いていない処を進むのは、結構しんどい歩行でした。1/25000の地図には、鐘掛城山から北側の林道に向かって、真直ぐ道の印が付いていますが、頂上を下ってすぐの所に分岐がありました。赤いテープが、林道に向かってではなく、稜線沿いに東の経路を進む様に印しています。仕事路が付け変わったのかもしれません。小さなアップダウンを繰り返しながら、ラッセルで進みます。 |
奈良尾峠から先は、しばし林道歩きです。雪が付いているためか、一台の車ともすれ違いませんでした。風早峠に着いて一休み。ここからは再び登山道になりましたが、これが結構荒れた道でした。万場側の高牛部落へ下る道と分かれてからは、心細くなる様な踏み跡となり、小ピークを過ぎた辺りからは、完全に藪道に。道の印しも、赤テープではなく、空き缶が木の枝にひっかけてあると言った感じです。藪を引っ掛けながら下ること約20分、漸く人家の有る処まで辿り付きました。
林道を降りきった所に有るのが「更木」の集落です。ここからバスが出ているのですが、少々時間が有ったので、出牛迄歩く事にしました。が、更木の部落の先には、砂石採石所があって、ここから引っ切り無しに大型ダンプが出てくるのです。この選択は失敗でした。出牛15分程度なのですが、砂埃の中の15分は結構つらいものです。最後が埃まみれになり、後味が今一になってしまいましたが、全体としてみれば城峰から更木に降るルートは、変化もある楽しいルートでした。 |
冬枯れの稜線をラッセルで進む
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