2004年9〜12月度 |
新しい山 | コ メ ン ト | ||||
【背振山】 九州 4年12月26日 |
高速を東背振で降り、坂本峠を越えて五ヶ山から登山口のある板谷に向かう。標識が判りづらく、以前であれば分岐点の確認に苦労したであろうが、今ではカーナビの御陰で道の確認が随分楽になった。背振山へは北側の椎原側から登山道を辿る計画にしていたが、霧が濃く霙交じりの空模様に計画を変更、林道で山頂直下まであがり山頂を触ってくるだけにする事にした。板屋の集落からは背振山に向かって、山頂にある自衛隊のレーダー基地に登る道路が整備されている。砂利道であるが良く整備された走行し易い道だ。航空自衛隊の基地入口の脇が、登山者用の駐車場になっていた。此処は蛤岳から金山に伸びる縦走路の中間地点で、背振山をベースに縦走路を歩く目的で来ている登山者が何人か来ていた。 山頂へは、駐車場から基地の鉄条網沿いに舗装された階段を5分ほど登る。小さな社が建っていたが、背後に建つ巨大なレーダー基地が辺りを睥睨していて、少々肩身の狭い山頂であった。濃い霧で展望も開けず、山頂標識の所で記念撮影の後、直ぐに下山した。帰路、インター近くにある吉野ヶ里遺跡を見学した。 |
基地の策に沿って登る 背振山山頂に建つ祠 |
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【鶴見岳】 九州 4年12月25日 |
空路で大分に入り、此処から鶴見山を目指すことにする。鶴見山は別府郊外にある山で、観光客を運ぶロープウエーが山頂までかかっていて、頂上部分は公園になっている。小雨混じりの天気ではあったが、時折晴間も覗き、時間的にも余裕があるので、ここは麓から登山道で頂上を目指すことにする。 別府の町は流石に温泉の街で、町の至る所から湯煙が立ち上っていた。街中に温泉独特の硫黄の匂いが漂っていたのが印象的だ。御嶽権現の駐車場まで車で入り、ここから歩き始める事にした。杉の大木に挟まれた石の参道は苔生していて滑りやすい。慎重に石段を登ると、本殿に到着する。此処からは登山道となる。冬枯れの樹林帯を登って行くと、やおら冷たい雨が降り始めた。濡れる前に早々とカッパを着用、ジグザグとなった急坂に取り付く。雨は何時しか霙となり、足元にも白い雪が所々に残るようになった頃、小広い展望台に出た。生憎の天候で展望は無かったが、晴れていたら別府の町並みが一望出来た事だろう。 此処から先は山頂公園の遊歩道となる。観光目的に作られた7福神巡りの道が錯綜している。霧が係り緩やかな起伏が続く山頂部は、何処が最高点だか判りづらく、暫らく遊歩道を巡る事となる。暫らく歩いていると、大きな案内図があり、脇の階段状の道を登った所が鶴見山の山頂であった。テレビ塔が山頂の脇に立っていて、景観的には今ひとつの山頂であったが、今日は濃い霧で全てが幻想的に見えた鶴見山の山頂であった。 登山口駐車場(10:50)→御嶽権現(11:00)→鶴見山(12:00)→御嶽権現(12:50)→登山口駐車場(13:00) |
苔生した御嶽権現の参道 霙交じりの中を登る 霧に包まれる鶴見山山頂 |
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【堅破山】 関東 4年12月12日 |
カタクリ会の忘年会を御前山で開催した翌日、堅割石で有名な堅割山に登った。登山口から黒前神社の鳥居をくぐり登山道を歩き始める。苔生した石を縫うようにして登って行くと、不動石、烏帽子石、手形石等、名前の付いた巨石が現れ始めた。登山道に沿って電線が敷設されていて、所々に裸電球がぶる下がっていたが、年末に初詣と御来光を見に登拝する地元の人が、大勢いるのであろう。ゆっくり上って30分程で現れた山門をくぐり、石段を登って行くと山頂直下に社が建っている黒前神社に到着した。神社の裏手を少し進んだところが山頂だ。展望台に登ると筑波山、八溝山等の常陸の山々、雪を被った日光の山や那須連山を望む事が出来た。 山頂から神社に戻り、ここから稜線部分を暫らく歩く。枯葉がクッションになって歩きやすい平坦な道を進んでゆくと、山名の由来となっている太刀割石に出る。丸い石が、雷にでも打たれて半分に割れたのであろうか。球がスパット半分に割れた半円形の巨石は、何とも不思議な光景であった。此処からは、小滝を経由して周回コースを辿り、登山口となった二ノ鳥居に戻った。 |
堅割山の山頂にて 大きな太刀割石 |
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【五葉山】 東北 4年11月13日 |
仙台から東北道を水沢まで行き、ここから大船渡方面に一般道の盛街道を走る。関谷の交差点から枝道に入り、登山口となっている赤坂峠を目指した。峠の周辺はカヤトの原になっていて、風を遮る木が余り生えていない。太平洋からの風が強く、天気は良かったものの、さすがは東北の11月、風は冷たい。冬山登山の服装に着替えてから、登り始めることにする。 ゆったりとした登りの登山道は、周囲の木が低木の為もあり明るい道だ。辺りではよく登られる山らしく、登山道は良く整備されていて歩きやすい。葉を落としたツツジの中を進んでいくと、程なく箱状の大きな石がある「畳石」に出た。周囲にベンチも置いてあり、少々早いがここで一服する。「畳石」から先は登山道の傾斜が増し、いよいよ五葉山の斜面に取り付く。葉を落としたナラやダケカンバの中を一気に登ってゆき、シャクナゲが現れる様になると、木々の間から時折「真っ青な」太平洋の海原が見え隠れしはじめた。道が平坦になり少し進むと、石楠花山荘に出る。山荘の周辺は石畳になっていて展望がよく、水場もあり休むのには良い場所であったが、如何せん風が強い。このまま山頂へ行くことにした。 山荘から先は、石楠花の中を平坦な道を歩く。日枝神社の鳥居をくぐり直角に右に折れて数分歩くと、平坦な五葉山の山頂に到着した。辺りは高山帯の風衝地の様に景観で、太平洋からの寒風が遮るもの無く吹き付けている。青々とした太平洋の景観は見事で、暫らく佇んでいたい山頂であったが冷たい風には勝てない。記念撮影をしてから、休む間も無く下山する事にした。下山後は、峠の麓にある温泉で汗を流してから帰途についた。 赤坂峠(10:00)→畳石(10:45/11:00)→五葉山(12:05/10)→姥石神社下(12:30/13:00)→畳石(13:25)→赤坂峠(14:00) |
赤坂峠の登山口 冷たい風に吹かれた平坦な山頂部 五葉山の山頂 |
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【桧枝岐】 会津 4年10月23日 |
紅葉狩りには少々遅い時期であるが、小出からシルバーライン・奥只見湖・桧枝岐へ抜けるルートで、晩秋の紅葉を愛でる事にする。3日前に東京を直撃した季節外れの台風で、上高地の紅葉狩りが中止となったSさんとその友達を含めた三人での道行だ。台風一過を期待したのだが、時々小雨の混じる肌寒い空模だ。 只見湖沿いに紅葉を楽しみながら峠越え、舟岐川の公園でホットウイスキ-で体を温めてから温泉に浸かり、桧枝岐の裁蕎麦を所望。きのこ汁を楽しんでから千本松牧場で御土産を買っていると、グラッと地震が来た。中越地震だった。東北道でラジオを聞いていると、午前中通ってきた小出辺りが震源らしい。さっき走ったシルバーラインも通行止めになっている。逆回りで走っていたら、丁度小出辺りで地震に直撃されていた事だろう。東北道が数時間に渡って通行止めとなり、10時過ぎの帰宅となった。 今回は平成元年から乗り続けてきて、10月25日で車検切れとなるカムリの走り収めでもあった。この車で青森から鹿児島まで、日本列島を16年間走り回った。本当に御苦労様。 |
山肌一面の紅葉 桧枝岐にて |
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【烏帽子岳】 【野口五郎岳】 北アルプス 4年10月10 〜11日 |
台風一過を期待して、七倉温泉からブナ立て尾根を登り、烏帽子岳と野口五郎岳を目指すことにした。東京を夜半に出発して、七倉温泉のゲートが開く6度半で一番のタクシーに乗ろうと予定していたのだが、七倉温泉のゲートに到着すると、前日の台風で高瀬ダムへの道が通行止めとなっていると言う。船窪へ登る登山者が出発するのを横目に待つ事1時間。東京電力のパトロール車が到着し林道を点検、漸く林道が開いた8時、七倉から高瀬ダムへ向けて出発した。 現在、「烏帽子岳・野口五郎岳紀行」を作成中です。 高瀬ダム(8:20)→ブナタテ尾根入口(8:40/50)→10/12(9:20/30)→7/12(10:10/20)→5/12(11:00/15)→2/12(12:05/25)→烏帽子岳小屋幕営地(12:50/13:30)→烏帽子岳(14:00)→烏帽子小屋幕営地(14:45) 烏帽子小屋幕営地(6:00)→三つ岳(6:40)→野口五郎小屋(7:45)→野口五郎岳(8:00)→野口五郎小屋(8:10/40)→烏帽子小屋幕営地(10:05/55)→4/12(11:30/40)→7/12(12:15/25)→10/12(13:00/10)→ブナタテ入口(13:40)→高瀬ダム(14:00) |
独特の風貌をした烏帽子岳 烏帽子岳小屋幕営地から 野口五郎方面 |
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【斑尾山】 信 州 4年10月3日 |
松本で一泊した翌日、斑尾山へ登る事にする。斑尾山には麓のスキー場から登るコースもあるが、ゲレンデの中を歩くのは味気ない。麓から登山道になっている斑尾温泉からのルートをとる事にした。長野道の豊田飯山インターから、10分位走った所にある斑尾温泉に着くと、小雨が降りだしていた。山頂までのコースタイムは2時間程度の様で、傘をさしても歩けそうだ。カッパの上下を着込み、温泉の駐車場から歩き始めた。 パターゴルフのコースを抜け、別荘地の中を真っ直ぐ進む林道を暫らく歩くと、等高線に沿って走る舗装道路に出た。標識通り舗装道路を左折して10分位歩いた所から、山頂に向けた登山道が分岐している。雨に濡れた斜面は滑りやすく、草が生えていたりして、滑りにくい場所を選んで一歩一歩登っていく。道は直線状に付いていて単調な登りだ。もう少しルートの付け方を工夫すればよいのにと思わなくも無いが、直線な分だけ距離は短かい。斜度が緩くなり平坦となった登山道を進むと、ブナ林の中の山頂に到着した。山頂自体は展望が無く、少し先の「大明神」からは野尻湖の見晴らしが良いと標識には印されていたが、今日の天気では展望は期待できない。一休みした後、登路を下山する事にした。 斑尾の湯(8:30)→登山道入口(9:05)→斑尾山山頂(9:50/10:00)→登山道入口(10:35)→斑尾の湯(11:00) |
直線に登る登山道 斑尾山の山頂 |
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【霞沢岳】 北アルプス 4年10月2日 |
二週間前に、徳本峠まで登りながら天候に恵まれず下山した霞沢岳に、上高地から登った。今回も徳本峠での幕営を考えていたが、2日目の天気予報が良くない。長い行程が懸念材料ではあったが、上高地から日帰りで往復する事にした。上高地への途上にある釜トンネルが、夜間通行止めの為、18時までには上高地に下山しなければならない。早朝5時、釜トンネルの開門と同時に上高地にタクシーで入山、5時20分に上高地から霞沢岳を目指して歩き始めた。 現在。「徳本峠越え・霞沢岳紀行」を作成中です。 上高地(5:20)→明神(5:55/6:05)→最後の水場(7:00)→ジャンクションピーク(8:00/10)→k1下鞍部(9:00)→K1ピーク(9:50/10:00)→霞沢岳山頂(10:30/11:15)→K1ピーク(11:40/45)→ジャンクションピーク(13:15/25)→明神(14:00/05)→上高地(14:45) |
陽光を浴びる前穂高 k1ピークより霞沢岳 |
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【徳本峠】 北アルプス 4年9月18 〜19日 |
北アルプスの象徴である槍ヶ岳や穂高岳。その登山基地となっている上高地へは、釜トンネルを抜けて入るのが一般的であるが、トンネルが出来る前、上高地へ入るには島々部落から徳本峠を越えて、入山していた。このクラシカルなルートで徳本峠まで登り、峠で幕営。翌日は軽装で霞沢岳に登り上高地に上る計画で入山した。 初日は順調に峠まで歩けたものの、夕方から降り出した雨は夜半に嵐となり、翌日の朝は強風で登頂を断念。テントを撤収して上高地へ下山、霞沢岳は次回への持越しとなた。 現在。「徳本峠越え・霞沢岳紀行」を作成中です。 林道通行止地点(6:05)→二股(7:00/05)→中間ベンチ(7:55/8:05)→岩魚留小屋(9:00/15)→力水(9:55/10:05)→徳本峠(12:15) |
沢沿いに徳本峠を目指す |
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【日和田山】 奥武蔵 4年9月日 |
カタクリ会の第113回山行で、奥武蔵の日和田山に登った。武蔵横手の駅で集合した後、沢沿いの林道を歩き五条の滝で一休み。市街地からそう遠くない所に、立派な滝があるのには驚いた。滝の先から登山道となり、ひと歩きで堂平山・大霧山から飯能方面に延びる丘陵帯の尾根筋に出た。ここからは舗装道路になっている所も一部あるが、のんびりとした丘陵の尾根歩きが続く。天気も上々で、多くのハイカー達とすれ違う。途中の売店で、缶ビールとアイスクリームを買い、食べながらの「そぞろ歩き」だ。登山と言うより、ハイキングと言う言葉が似合うトレールを進んでゆく。 一旦は舗装道路となった道は、高指山の手前で再び登山道らしくなった。高指山のピークで一休みしてから少し市街地へ下り、日和田山の頂上で昼食を取る事にした。眼下には高麗川が流れ、高麗の集落と田園風景が楽しめる。景色から言うと、山頂から少し下った神社からの眺めが良い。巾着田が、まるで箱庭の様であった。 下山後、巾着田のマンジュシャゲを見物していく事にする。高麗川がクビレた巾着田の土手には、真赤な彼岸花が沢山咲いていて、見事な花景色が広がっていたが、人もまた大勢出ている。この辺りは、小学校の頃に遠足やオリエンテーリングで良く来た場所で、当時の巾着田は静かな田園風景であった。それが田んぼは埋めたてられて駐車場となり、露店がでていたりする。川の土手に自然に咲いていた彼岸花も、今では人工的に植えられている様だ。巾着田は、自然の花ではなくて「公園」と考えれば良いのかもしれない。彼岸花を愛でながら巾着田を一周し、高麗の駅から帰路についた。 |
日和田山の山頂 日和田神社から見た巾着田 巾着田の彼岸花 |
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